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2009.02.28

春はすぐそこ

あと30日ちょっとで社会人だ。

会社から、勤務地決定のお知らせが来た。このまま実家からじゅうぶん通えるところ。
そして明日が大学院の修了認定発表の日。ちゃんと単位とれてますように。
バイトも今月いっぱいで辞めることになっていて、数日前が最後の勤務だった。
日曜日がシフトだったので、バイトのない日曜日を満喫しようということで
明日、大学へ修了認定をチェックしに立ち寄るのを織り交ぜたデートをする予定。
修了が決まっても、万が一修了できないことが判明しても(・・・・・・)、彼がいる。

3月は、母とふたりでタイに行く。母は初めての海外旅行。
妹とも、年度が変わる前に国内旅行でもしたいねと話した。口約束にするつもりはない。
それから論文発表と、ゼミ室の片付け等の作業。
スーツやブラウスや靴なども、とりあえずはあるけどもう少し必要だろう。
4月なんてすぐだなあ。時間がない。

10月の内定式のときに、「残り半年」の学生生活、と言われた。
その頃は修論のことしか頭になくて、書いて出せれば何でも良かった。
12月に提出したときは、「あと3ヶ月だな」と思ったけれど
バイトをつめこみ、韓国行きの準備をして、妹の受験を案じたりして
気がついたらもう「あと1ヶ月」になってしまった。
提出してからここまでとても速かったな。
多くの人が通る道とはいえ、新卒→社会人のこの瞬間は一生に一度しかない。

彼との関係も、特に何か決めているわけではないけど、きっと変化があるのだろう。
私の生活は時間的にも大きく変わるし、環境も変わるし、
わからないけど、考えることやら価値観やらも変わるのかもしれない。
変わらないとしても、大きく揺さぶられるかもしれない。
この間いっしょに行った映画館で
これおもしろそうだねと指差したポスターの映画は4月公開のもので
彼は「土日に行こうか^^」と言ってくれたけど、私は、。
この話は考え出すと長くなるのでやめるけど
とにかく今のこの調子でのふたりの関係もきっとそう長くはないような気がする。
私はそれが寂しいのか、それを望んでいるのか、どっちなんだろう、それも問題だ。

春だなあ。終わりがあって始まりが来る春だ。
私はこの季節が大好きなんだ。



↓ありがとうございます。
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Posted at 17:11 | 私のこと | COM(12) |
2009.02.27

モナムール

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(1998/12/24)
カトリーヌ・ドヌーブ

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あの有名な、壮絶なまでにドラマチックでセンチメンタルな音楽だけは知っていたけれど
映画を見てみたら私にはその壮絶さがむしろ「泣かせ」ではなく「おかしみ」に感じられた。
「あなたがいないと生きていけない」ってあんなに泣いたのにー(笑)
女ってひどいなー(笑)
ジャック・ドゥミもきっと女にいろいろ恨みがあるのだろうなあ(笑)
女の子はこうして成長していくのだろうな。
ジュヌヴィエンヌもいつかフランソワーズに
「私をご覧なさい。恋で死ぬのなんて映画の中だけよ」と笑顔で言う日が来るのだろう。
(うちに帰ったらBSで『サウンドオブミュージック』をやっていて
ちょうど失恋したルイーズが、母になったマリアに
「あなたは16歳、まだまだこれから。あと1、2年待っていて」と
諭されるシーンだった。その歌って何歳まで有効なのかなー。)

結ばれないふたりの悲しい恋、ではなくて
人生ってこういうものよね、という達観した視点から語られている感じ。
テレビドラマだったら1クールかけてだらだら冗長にやりそうなところを
要点だけかいつまんでテンポ良くドライに進めてくれた。
余分なところはそぎ落としました、というこの感じ、好き。
お母さんがいい味出してた。
オレンジのスーツに翡翠や琥珀っぽい色の大きな石のネックレスをしていた
あの装いがとても素敵だった。




↓ありがとうございます。
2009.02.25

懸けるもの

先日見た映画『キャラメル』と、私の恋の話。映画についてはネタバレ注意。



主人公ラヤーナは30歳でエステサロンのオーナーでクリスチャンで
既婚者とつきあっている。
男は不意に店の前までやってきてクラクションを鳴らす。
あるいは近くまで来て店もしくは彼女に直接電話をかけてくる。
ラヤーナはいつもそれを待っている。
彼が来ると「ちょっとよろしく」と言ってそそくさと店を出て行く。
自分の車にのりこんで、パタパタとメイクを整え、彼のもとへ向かう。
映画では男の顔は映されない。会話のシーンでも、ラヤーナの声しか聞こえない。

彼との逢瀬のためにラヤーナはふたりだけになれる場所を用意すべく奔走する。
ホテルをとろうとするのだが、まともなホテルで2人部屋を予約しようとすると
結婚していることを証明できるものを見せろと言われてしまいうまくいかない。
ようやく手配できたのは薄汚いモーテル。
娼婦だと思われることも構わず、トイレもお風呂もぴかぴかに磨き
ベッドやソファーもきれいにクリーニングして風船で部屋を装飾し、手作りケーキも用意。
準備し疲れて横になっているところへ男からのメール。それを見た彼女の冴えない顔。

そのあと映画では彼女は友達(でありその他の主人公たちでもある)3人をそこに呼び
救いようのないこの状況を、ひとりじゃなく過ごす。助けてもらう。
と同時に友達を助けることにもなる、すてきなシーンなのだけど
今日は映画の紹介はここまで。

彼女が部屋の掃除をするシーンは、確か女声のボーカル曲がBGMで流れて
印象的に描かれる。
映画の冒頭から相手の男は実体として登場してこないわけだし
きっと男は来ないのだ、ということをじゅうぶんに予感させて、切なかった。
「彼女は彼に専心していて、懸ける想いがつりあっていない」と思った。
「渦中にいる者がどう感じているかはともかく
突き放して見ると不倫ってこういうことなのだろう」とも思った。
彼のことをいつも考えて、楽しそうに電話をして、彼との時間のために一生懸命になるのは
恋をしたらきっと誰だって同じことだけど
それが、結局のところつりあっていないのだ。
公には顔さえ明かされない相手。





↓ありがとうございます。
Posted at 00:36 | 恋のこと | COM(0) |
2009.02.24

5日目、最終日

こちらから読むと韓国旅行はじめから。



5日目。最終日。

全員でのプログラムはこれで終わりで、私はみんなと別れて延泊。
先に帰る組は宿から空港へバスで直行なのでお見送り。
他の残るふたりとともに私はソウルへ。スタバでブランチをとってから彼らともお別れ。
ロンリーアドベンチャー始動。
DSCN1304mini.jpg


南大門市場。でっかいアメ横みたいだ。日本語話者多し。
お店の人もそうだし、観光客も日本人たくさん。
日本語おじさんの店で青磁を買った。その後至る所で目にした鶴柄の、一輪挿し。
バレンタインが近かったのでチョコレートや製菓用品を売る店が多かった。

昌徳宮めざして歩く。到着日から思っていたけど東京よりよっぽど空気が悪い。
昌徳宮は決められた時間にしか入場できないと聞いていたので時計を気にしつつ歩く。
DSCN1307mini.jpg
昌徳宮の日本語ツアーは大混雑。修学旅行みたいだった。
どうせみっちり聞くわけでもないのだから
今度こういう機会があったら英語ツアーの方に加わったほうが楽しいかもと思った。
でもガイドさんはちょっぴり毒も混ぜつつ話す面白い方だった。

お粥の店に入る。
辛くなさそうなメニューもあったが調子に乗ってあえてキムチ粥に挑戦。
つけあわせと組み合わせながら、かなり時間をかけて食べきった。
先生といっしょのうちに聞いておいた片言ハングルでトイレの場所を聞いた。

北村(ブクチョン)という地域は韓国の伝統的な家屋を保存していて
歴史の解説やら織物体験ワークショップの運営やらといった活動を
ボランティアの人たちがしているエリアなんだそうだ。
事前に知っていたわけではないが控えめな案内板に導かれて
そんな家屋のひとつにたどり着いたら英語の解説員の方がそう言っていた。

ソウルなんて東京と変わらないらしいよ、と行く前に誰かが言っていたけど
この風景はなんか不思議、と思って撮った写真。
DSCN1372mini.jpg
ここらへんで角を適当に曲がったらかわいい喫茶店があったので一休み。
おしゃれしている女の人たちが何組か座ってお茶していた。
スコーンと紅茶を頼む。店内には雑貨も売っていた。
実は道に迷っていたので自分の持っている地図を見せてお姉さんに場所を聞いた。
韓国語「すみませーん(チョギヨー)」はこの辺ですっかりマスター。
(フランスに行ったときは「エクスキュゼモワ」さえ満足に言えなかった。尻込みして。)

もう夕暮れになっていて、近くにある女子中学校の下校時刻と重なる。
彼女らをターゲットに、高校生か大学生と思われる女子2人組みが
道に机を出して可愛い手作りチョコレートを販売していた。
私も大学に入った頃、友達と雑貨とかポストカード作って売ってた時期がある。
それを思い出してキュンとなったのでふたつ入りのをひとつ購入。
日本語も英語も通じなかったからまともにお話はできなかったけど
カメラを出したらピースサインで写ってくれた。
先生といっしょのうちに聞いておいた片言ハングルで「すてき」と言った。
帰国したらすぐ会える予定だったので、買ったチョコは彼に。他人の手作り。
おまけでくれたヘアゴムの袋にURLが書いてあったので
やっぱり普段からふたりで活動してるんだ!と思ってにんまり。
帰国してからアクセスしてみたら、洋服やアクセサリーなどを販売しているみたいだった。
全部韓国語だったから詳しくはよくわからないけど。

暗くなるころに仁寺洞(インサドン)。メジャーな観光ショッピング地域。
でも画廊なんかも多く商業化される前から芸術の地と言われているところらしい。
いかにもな感じの土産物屋もたくさんあるが、
アーティストが店を構えて手作り雑貨などを売る店もたくさん並んでいる。
かわいいものが多すぎて物欲の収拾がつかなくなるのを感じながらお土産を買う。
初めて自由が丘というところに行ったときのことを思い出した。
そういうところで気の向くままに買い物してたらきりがないに決まっている。
煩悩と戦いながら通りを歩く。

少し離れた地域にも行ってみる予定だったけどもう疲れてもいたので
行けるところまで電車に乗らずに歩くことでソウル観光を続けるということにして
宿へ向かって帰ることにした。
サラリーマンも若者も夜の街に繰り出す時間帯。大通りに屋台の多いこと多いこと。
食べ物だけでなくて、雑貨、お花、アクセサリー、占い。
占いは日本だとひっそりと怪しい感じにたたずんでいるか
なんとかの母とかいってマスコミに取り上げられているところにだけ行列ができているか
手相の勉強していますっていう人か、だけれど
何軒もある占いの店はどこもお客が2、3人で熱心に占い師と話し込んでいるようだった。
腹ごしらえをしたくて玉子焼きみたいなのを売っている屋台に立ち寄った。
脇に食べるスペースがあっておばちゃんが招き入れてくれる。
若い女の子たちも普通に利用する。
DSCN1393mini.jpg
玉子焼きの中身は沢庵の海苔巻きだった。びっくり。赤いソースをかけていただく。
一緒におでんも売られていて、その汁もスープとして出してくれた。あの辛いやつ。温まる。
甘いものがほしいと思って違うところでたいやきを売っていたのでお金を出したら
袋に5~6個どっさりくれた。1000ウォンでひとつだと思っていたのに。
朝までこれでじゅうぶんだと思って大事に抱えて帰った。

とちゅうでコイン式の公衆電話を見つけた。
小銭はどうせ円に換金できないのだし、携帯も使えないからうちにかけてみようかなと
電話ボックスの壁にある国際電話のかけ方案内を見てやってみたが
なぜかうまくいかない・・・。
アニョハセヨーって女の人が出て、たぶん同じ人に3回くらい間違い電話。
もういい加減迷惑だから諦めた。

宿に着いてのんびり。前日までとはちがってモダンで快適。
日本でHIS経由で予約したら1泊4000円。
その日に現地でお願いすると80000ウォン(6400円くらい)。得した。
シャワーを浴び、お金の計算、日記、ストレッチなどしたら1時くらい。寝る。

自分の家族に不幸がある夢をみて4時半ごろうなされて起きる。
携帯が使えないということは向こうに心配をかけるというだけでなく
そういうことが本当にあったときに私がそれを知る術がないということなのだ。
空港へ行くには早くても7時ごろ出発すればいいわけだけど
心配になってもう眠れない。まんじりともせず夜明けを待つ。

空港への直行バス乗り場をホテルの人に聞く。日本語。
近くまで着いてもよくわからず違うバス乗り場の案内係の人に聞く。英語。
バスが来るまで30分くらい待つ。
バスは私が一番乗りだったみたいで、運転手のおじさんがわざわざ降りてきて
スーツケースを運び込んで座席においてくれた。カムサハムニダ。
保存していた画面メモを見るために携帯電話に電源を入れたら
入れた直後は圏外なんだが、しばらくしたら「3G」に切り替わった。
・・・・えっ。
そしてドコモからのお知らせメールが来て、海外での使用についての案内。
使えんじゃん。
とりあえず母にメール。「みんな元気?」「元気だよ」。ほっ。
にしても抜けてるなあ、私。
私わりと新しい携帯使ってるんだからいまどき当たり前かあ。
どっちにしろ充電器がなかったから今回はこれで良かったけれど。

空港でバイト先へのお土産を整え、ゲートを間違えたりしながらバタバタ搭乗。
隣の席のアメリカ在住韓国人女性と英会話がはじまる。
彼女は昔高校で歴史の教師をしていたそうだ。
日本政府が過去に何をしたかという話をされる。
そして日本ではそれを学校で教えないということを指摘される。
私はその問題についてよく勉強したというわけではないにしても
まったく興味がないとか知らないというわけでもないのだから
何かしら言いたかったのだけど、うまく言えなかった。
「まあいいのよ、あなた個人がどうという話じゃないのだから」と言われた。
お互いの話やお互いの家族の話もした。
私が自分が大学で勉強していることについて話したら興味を持ってくれたが
やっぱりもっといろいろと説明したいのにできなくて、歯がゆい。
Nice to meet you でお別れ。彼女は乗り継ぎ。私は入国。

日本人と韓国人は顔がよく似ているから、
ここはまだ韓国でこの帰りの電車に乗りあわせている人たちは韓国人だ
というふうに無理やり思い込めばまだそういう気持ちになれる。
そうして車内のポスターとかを見ると、韓国のテレビやポスターで感じた
うまく説明できない滑稽さを同じように感じることができる。
それって西洋の真似事という意味での滑稽さなのかどうかは、よくわからないけれど。
でもこれを書いている今はもうあの感覚はすっかり薄れてしまった。




おしまい。


↓ありがとうございます。

Posted at 16:55 | 旅のきろく | COM(2) |
2009.02.24

4日目

こちらから読むと韓国旅行はじめから。


4日目。

朝7時半のバス。適当に買っておいた朝食をおのおの車内でとる。
目的地のなんとか村は山間にある。9時ごろ着。村人は、お祭りの準備。
女性は料理。男性は縄編み、焚き火の用意。ぱっきり分業。
子供らは衣装を着てご神木をお参りしてから太鼓の練習。
遅刻君がひとりいて、カメラを向けたら逃げられた。
祭りが始まるまでまだあるからと食事をすすめられる。
食べてきたけど勢いに負けて食べる。こんなのはまだほんの序章であった。
白米、野菜と豚肉と豆腐の赤い煮物、豚の塩ゆで、白菜キムチ、沢庵キムチ、
どんぐりのこんにゃく、エビの塩漬け、なんか菜っ葉。
もちろん辛いけどいちばん美味しく食べた。特に豚!
祭りの間は撮影したり食べたり遊んだり参加したり火に当たったりして夕方まで。
ぼーっとしているととにかく食べ物をすすめられる。断っても無理やり手渡される。
子供らは英語を勉強しているそうで会話が成立。
仲良くなってさっき逃げられた遅刻君も含めて写真をたくさん撮った。
大酒飲みのおばあちゃんとは言葉は全く通じなかったがとにかく飲んで食べて踊った。
帰りは太鼓の音に見送られてうるるん滞在記みたいにお別れした。
太鼓が聞こえなくなる瞬間の切なさといったら・・・。
夢のようだったけど、ポケットにはおばちゃんがくれた栗が確かにある。
バスで帰る。コンビニで酒盛りの準備。
屋台で若者が食べていたものを真似して買い食い。おでんだけど辛かった。
飲み会にはこの夜は私も参戦。大いに語り合う。良い議論と先生評。
2時頃就寝。


つづく→5日目、最終日


↓ありがとうございます。
Posted at 15:00 | 旅のきろく | COM(0) |
2009.02.21

3日目

報告、というよりは自分の為に残しておきたいので韓国旅行記続けます。
こちらから読むとはじめから。



3日目。

この日のメインイベントは朝から午後までソウルより北で行われる儀式の見学。
そして次の日のメニューの都合で
そのあとはそこから南へ3~4時間ほど高速バスに揺られて拠点を移さなくてはいけない。
そのためこの日は5日分の荷物を持って通勤ラッシュの地下鉄に乗って
どこかに荷物をあずけて見学後、大移動という予定になる。
いろいろあって荷物は怪しげなホテル、というか明らかにラブホにあずけることになった。
ひと部屋を9時から16時くらいまで借りて30000ウォン。だいたい2400円くらい。安い。
正規の使い方をした場合の値段は知らないけど。
ロッカー代としても人数でわると300円もしない。安い。

「ホシージャンカセヨ」という恐喝のような呪文でタクシーは目的地へ。
見学した儀式そのものについては割愛。
割愛するとほとんど書くことがないけれど合間にあったささやかなエピソードをひとつ。
儀式といってもお祭りみたいな感じで
人々は歌ったり踊ったり賭けたり食べたり飲んだりしていた。
出ている多くのお店が、いかにも!なこんなものを売っている。
DSCN1084mini.jpg
蚕である。
たまたま居合わせた友達と思い切って購入。
彼女とは、この旅の間中「これは・・・!」という食べ物を前にするたびに
必ず隣に居合わせるという運命にあり
そのたびに買い食いをしてはみんなを待たせてペースを乱したりしていた。えへ。
ひとつぶ食べてみたかっただけだけど、言われるままに2000ウォン出したら
紙コップにいっぱい盛って楊枝を2本つけてくれた。ありがとう。
こんなに食べれないっす。
5匹くらいがんばって食べたがもう嫌だったので、誰かに押し付けようと2人で逍遥。
お祭りムードのなか現地の人に手当たり次第差し出すも誰もが苦笑して首を横に振る。
いったい誰がこれを食べる為にこんなにたくさん売られているんだ!
と思っていたら儀式の楽団の人がもらってくれた。
誰、というのでもないがどことなくクレイジーケンバンドを思わせる風貌のおじさん。
ケンさん(仮名)は蚕が好物だったようで
コップから流し込むようにしてむしゃむしゃ豪快に食べてくれた。
そして隣にいた女性演者をドン引きさせていた。
蚕を通じてケンさんと少し仲良くなり、スリーショットを撮った。載せません。
いろいろ含めて、この旅で得たもののひとつはこの「蚕の精神」。

9人分の荷物を3人で取りにいく。他の人は待機。
タクシーに分乗するための頭数で3人必要なのかと思っていたが
一台のタクシーに強引に押し込んで乗り込んで待機組のもとへ戻ってきた。
後部座席でトランクに押しつぶされそうになりながらちょっとワクワクした。

高速バスにぎりぎりで乗り込む。移動中は寝た。
前日にとった宿を探してうろうろ。電話をしたり、人に聞いたり。
宿(サウナ)は全部2人部屋でダブルベッド。ひと部屋1泊20000ウォン。安い。
先生と同室のGくんは先生とダブルベッドで寝るのね、と他メンバーにネタにされる。
荷物を置いて食事に出かける。ビビンバ。
辛くて当たり前であることにさすがに慣れてきた。

一部メンバーは男子部屋で酒盛りをしていたが、私は行かなかった。
同室の友達がけっこうしぶとく誘ってくれて、それは本当に嬉しく有り難いことだったが
ひとりになれたらなりたかったのでこちらも頑なに固辞し通した。
今はこれで通用するけれど、社会人になったらそうもいかないのだろうか、と少し悩む。
空気を読むじゃないけど、我を通すところと通さないところとの見極めができるか不安。


つづく→4日目


↓ありがとうございます。
Posted at 22:04 | 旅のきろく | COM(0) |
2009.02.19

ポンピドゥー

旅行記中断、映画鑑賞記録。


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帰国翌々日、彼と。
アバは高校生くらいのときに見ていたドラマに使われていた関係で
アルバム一枚分だけはMDで持っていてよく聴いた。
彼より私の方が知っている曲が多かったようだ。
エネルギーあふれる映画だった。ミュージカル映画って楽しいな。
サントラは売り切れで残念。



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ついさっき、ひとりで。
なんとなく気になって即決で見に行ったのだけど、とても良かった。
レバノンのとあるサロンをとりまく女性たちの物語。
光野桃からひきずっている「おしゃれ」「(異国の)女性」というトピック
旅の余韻でまだ敏感になっている「外国語」への耳の感度
数年来のしかかっているテーマである「不倫」
もっと前からどこか憧れの感情から抜け出せない「女の友情」等々
ひっかかるものが多すぎた。

例えば、

だめだ。いろいろ。


人生のどこかで何らかの形でまた見たい。
あれはどういう意味だったんだろう、と感じたいくつかの点が
また年を重ねてから見たら違って映るのだろうという確信めいた予感もある。
この映画についてはここでも言及。



↓ありがとうございます。
2009.02.17

2日目

韓国旅行メモ3つめ。はじめから読まれる場合はこちらから。

まさかの検索ヒットを避けるため
先生たちと過ごした調査期間のことについてはやんわりと行きます。



2日目。

寒い寒いと言われていたものの、やはり温暖化のせいなのか、例年より暖かかったらしい。
東京の冬だって夜はこんなもんだよな、という気温。
それに寒い国は寒さと付き合う術をしっかり持っているもので
韓国伝統の床暖房「オンドル」がどこの宿でも完備されていた。
そして何より唐辛子!これを毎食毎食摂取したわけだけど
本当に体がか~~っとあったまるのでした。
ここに暮らしていればそんな食事を何十年としてくのだから体質も違ってくるんでないかな。
ゲストハウスでの朝ごはんは、白米、キムチ山盛り、餃子のスープ。
銀の箸で頂く。美味。キムチは少しでも減ると即座におばちゃんに足される。
到底食べきれないし、韓国エキスパートの先生によると
韓国では出された食事を食べきるより少し残すくらいのほうが礼儀に適っているらしい。
というか食べきると足りないと思われてすぐに次を出されるのだそうだ。
そんなわけできっとキムチは使いまわされているのだろうと思う。
辛いの苦手な私は、キムチはそこそこに、でもスープはおいしくいただいた。

地下鉄で移動。
路線図を眺めていると、ハングルとアルファベットが併記されているので
じっくりいろんな地名を読み比べているうちに大方読み方がわかってくる。
ハングルは、15世紀の李氏朝鮮で人為的に作られた表音文字で、かなり合理的。
パーツごとに対応するアルファベットさえ解明できれば
発音の機微は別にして、カタカナ読みくらいはできるようになる。
そして、外来語は日本語と同じだし漢字の読みも似ているものが多いので、
勘が良いと読みからだいたいの意味がわかってしまうことも少なくないのだ。
現地の言葉にはほぼ太刀打ちできないと思って来たのに、
時間をかければ看板や標識くらいは理解できるようになった。

そのほか、車内で韓国人を観察。
若い女性は薄着。唐辛子パワーか。暖冬だからか。黒髪。
カップルはかなりの密着度。手をつなぎ腕を組み見詰め合う。ペアルックもいた。
おばちゃんはもれなくパンチパーマ。

この日の午前中だけは観光をする時間の余裕があったので
都合のよい立地条件にあった某施設へ。観光スポットとしては王道と思われる。
休日だったためコリアンファミリー多し。遊具が充実。
小さい女の子のジャケットはショッキングピンクが定番。
そこで食べた昼ごはんはチゲ。辛くないものなどなかった。
同じく辛いのが苦手な学部生Gくんは、赤くない料理を選んで一安心と思ったら
青唐辛子に奇襲されていた。水とご飯でごまかしながら食べる。
私は腹を決めて赤い料理を食べた。大豆入りチゲ。ナムルが美味。
美味しかったけど、辛さがつらかったのはこの食事がいちばんだった。
それ以降はもしかしたら舌が慣れていっていたのかも?

そのあと某旧正月行事を見学。担当の係は撮影。
ソウル市民パワー炸裂だった。正味1時間半。
DSCN0911mini.jpg

行事終了後、暖を求めて博物館へ。入場無料。
古い屏風絵などが見られたが、日本のものと形式は似ていてもスタイルが全く違う。
『素朴美の系譜』なんていう展覧会を1月に見に行ったけど
日本のさらさらっとした描き方と違って、定規で引いたような几帳面な線でなる絵。
でも遠近法ではない。
一転、書道のほうはずいぶんまろやかな字体だったのが印象的。
とはいえ、それらが何時代の何なのかはよく見なかったし覚えていない。

昨日と同じ宿へ帰る。帰りはバスを主に利用。
カルガモの子どものように先生について移動する私たち。
途中で晩御飯を食べる。なぜか中華。お腹がはちきれそうになるほど食べたけど安い!
次の日からは拠点をソウルから移すことになる。
そのための算段を中華料理屋でつける。宿の確保。
大荷物の預け場所を考える。考えたけれど結局出たとこ勝負という結論。


つづく。→3日目


↓ありがとうございます。
Posted at 16:55 | 旅のきろく | COM(2) |
2009.02.17

1日目

旅行メモつづき。はじめから読まれる場合はこちらから。


1日目。

18時ごろ発の飛行機。成田にはじゅうぶん早めに着く。
空港内の本屋でハングル旅会話の本を立ち読み。
ほんの少ししか覚えられなかったが、意外と後々役に立った。
搭乗後、機体トラブル疑惑のため1時間ほど delay 。
ちょっと居眠りをして目が覚めたらまだ地上だったので、
一瞬もう到着したのかと思ってしまった。

隣に座っていたのは同年代か少し若いくらいの韓国人女性。i podで音楽を聴いていた。
私がなんとなく座席の映像プログラムをいじっていたら
「これで音声を聞けますよ」と備え付けのイヤホンを指して英語で教えてくれた。
本当はちょっといじってみたかっただけで聞かなくてもいいやと思っていたのだけど
せっかくなので使うことにした。
ちょっと疲れていたのでドラマは見ず、クラシック音楽のチャンネルに合わせた。
そのあとトイレに行きたくなった。私は窓側なので彼女に立ってもらう必要がある。
目的地まで2時間程度だし、我慢できないことはなかったが
空港で待ち合わせの約束をしているしただでさえ遅れているのだから
機内で済ませておくほうが絶対に良いという答えは出ていた。

ここから数分の私の思考と行動は
客観的に見ればなんてことのない、ささいなひとコマなのだけど
あとから考えると私にとっては重要で、象徴的で、旅の始まり的なアクションだったのだ。
彼女はさっき英語を話していたし私は韓国語はわからないのだから
ここは英語で声をかければいい。
まあこの場合日本語でも、むしろ無言でも、状況と身振りで意図は伝わるはずだ。
しかし、「ちょっと通してください」くらい英語で言えるでしょう私、という声がする。
ここで、相手が不自由なく使っているらしい言語に合わせてきちんと挨拶をし
トイレに行きたいという自分の欲求を満たす、という行動をとっておくことが
なんとなく今の私――旅に出る私、24歳の私、学生を終わる私、いろいろな意味で――
にとって大切なことであるように思われて
あまりに大げさだけれど、意を決して、彼女の肩をたたいたのだった。
トイレから帰ってきた後の私はすっかり爽快な気分で(笑)、
この何にも代えがたい安心感と、それを得るための過程のちょっとの面倒さとを
秤にかけて行動することが私は普段できていないなあ、とぼんやり考えた。
国内で日本人同士であっても、こういうとき声をかけるのが億劫で
自分の体の声、心の声を無視することが私はよくある。
それでもいいときは別にいいけれど、いつもそうであっては良くないし
慣れない環境だからという理由でますます自分の欲求を無視するようになっていては
その慣れない環境での居心地を悪くする一方なのだから
むしろこういうときこそ、ちょっと外向きに行動することが大事なのだな、と。

22時ごろ空港に到着。
偶然同じ便だったOGのJさんと私、10分くらい先に着く便のNちゃんの計3人を
2時間弱早く着く先生が待っていてくださって一緒に宿まで行く予定だったので
ずいぶん待たせてしまったわーと、Jとばたばた集合場所にかけつけると
寄寓にもNの便もお客様事情で同じくらい遅延になっていたようで
先生ばっかりに3時間ほど待ちぼうけをくらわせてしまっていた。
「だいたい元から現地集合にするっていうところが、まあうちの科らしいというか」云々
先生ちょっといらいら気味。でも先生だってうちの科卒なので同属だ。でもすいません。
時間が遅かったため、ソウル市内へのリムジンバスがすぐには出ないことがわかり
思い切ってタクシーで移動。割勘でひとり20000ウォン。1600円くらい。
バスだと9000ウォン。数字が大きくてびびってしまうが安い。札束札束。

宿に着くともう日付が変わるころで、先についていたみんなはお風呂上り。
簡単なミーティングをして就寝。翌日は7時出発。


つづく。→2日目


↓ありがとうございます。

Posted at 13:42 | 旅のきろく | COM(0) |
2009.02.13

アニョハセヨー

昨日、韓国から帰ってきました。
出発までぐだぐだとやる気なさそうにしていたわりに
やっぱり行ってみちゃえば楽しかったし、貴重な経験もできました!
丁寧に思い出していく旅行記的なものを書くのもいいなあとは思っているけれど
ひとまずはざっくりと総括。気付いたこと、収穫、今後の課題など。


◎もう空港は怖くない

今回の旅は私にとって2度目の海外旅行。
前回は2年まえにパリに行ったが、そのときは友達が諸々の事務手配をしてくれたので
宿や飛行機に関してはそれに付いていくような感じだった。
今回は、ゼミ有志によるフィールドワーク(実地調査)旅行ということで
先生を含め総勢9名が参加の、ちょっと学校行事っぽいイベントだったのだが
個人プレイが好きな我々の辞書には協調性という言葉がなく
飛行機ひとつ取るのにもいろんな要望が出てまとめるのが面倒になったので
一括確保をすることはせず、各自手配で現地集合ということになった。
そんなわけで私は自分ひとりで飛行機に乗るという経験はこれが初めてだった。
搭乗というと、いろいろ禁止や制限があったり、申告が必要とか必要じゃないとか
なんだか小難しい印象があって、私大丈夫かなあと思っていたのだけれど
きょろきょろしながらも独力でひととおり乗って降りて帰ってこられたわけで、
やってみると別に大したことないというか
もう次からは出入国そのものを億劫に感じて海外旅行を遠ざけることは
しなくて済みそうだ、と思えたことは収穫のひとつ。
でも税関とか免税とかっていうのは仕組みをいまいち理解していないので
それは今後の課題。


◎現地でのコミュニケーション

前回のパリ旅行は、日程のほとんどを同行の友達とは別行動で過ごした。
今回は調査のため全員でいろんな地へ移動して一緒に行動した。
もちろん調査とはいえ旅であることには変わりない。
メンバーの中に、わりと旅慣れていて写真なんかも好きな女子がいて
私にとっては彼女の旅での過ごし方というのを目の前で見られたのはこれまた収穫だった。
・言葉がわからなくても道くらい聞ける。
・「写真とってもいいですか?」を繰り出すタイミング。その仕草。
・妙な食べ物飲み物は躊躇せず挑戦したほうが絶対楽しい。

それからこの地のエキスパートである先生の行動からも得るもの多し。
・言葉がわかるのであればとにかく何でも話しかけたほうが問題解決は早いし楽しい。
・旅行者に話しかけてくれる現地の人に対しても、変に構えたりする必要はなくて
 どんどんコミュニケーションをとったほうが問題解決は早いし楽しい。

というわけで今回ハングル予習をほとんどせずに突っ込んでしまったけれど
最低限の挨拶や買い物用語やできたら数字なんかも、しゃべれた方が絶対楽しい。
ただし現地である程度身につけることも条件によってはじゅうぶんに可能。
私、ハングルだいたい読めるようになっちゃって、ひそかに興奮。その話はまたいつか。


◎英語を話せるようになりたい

↑の話とも重なるけれど、
現地の言葉が無理でも英語が話せるとやっぱり実際心強いということを実感。
今回は韓国なので日本語がわかる人や日本語表記がある所もわりと多くて楽だったが
「日本語は話せないんです、ごめんなさい」と英語で言われたときに
「OK、じゃあ英語で!」という切り替えをもっと段差なしにできたら
得られる情報はどんなに広がっただろう、という場面はいくつかあった。
トイレの場所だとかバスの乗り方だとか
そういうのを聞くときには必要を満たすくらいの会話はできるけれど、
ガイドしてくれる人の話が7割くらいしかわからないことや
ちょっと仲良くなった人とのやりとりで自分のことを話すのにうまく伝えられないことは
かなりもどかしいと思った。
帰りの飛行機で隣になった、母と同い年のアメリカ在住の韓国人のおばちゃんと
約2時間お互いの話や歴史の話をして過ごしたのだけど、
「あなたはもっと英語を勉強してグローバルなコミュニケーションをとれるようになるべきよ」
と言われた。
前置きなしに「英語は話せます」と言えるようになりたい!と
はっきりと感じたのはこれが初めてかもしれない。
英会話教室通おうと思う。思い立ったら即!がいいかしら。
でも来月また家族と旅行したり論文発表したりで忙しいのと
4月から新生活だし、ペースつかんでからのほうがいいのかしらという懸念もあるのとで
口コミリサーチまではしたものの申し込みへと踏み出せない。


全体を通して、得るものの多い旅だったと思う。
単に「行ってきた」という以上に。
しかしなかなかどうして、「行ってみる」っていうのはいいものなんだな。

つづく。→1日目



↓ありがとうございます。
Posted at 13:55 | 旅のきろく | COM(3) |
2009.02.05

マシッソヨ

いよいよ韓国行きまであと2日・・・。
「3日前までに予約完了メールを送ります」と書いてあったのにメールが来ないため
向こうの携帯レンタルの会社に国際電話をかけて問い合わせたら
「メールが届いていないのは、処理中だから届いていないというわけです。
処理ができ次第送ります」と、コリアンお姉さん。日本語でね。
それは、論理的に、当たり前のことであって、
そういうことが聞きたかったわけではないのだけど
もう少し待っていれば大丈夫というので、まあいいやということにした。
宿がないとなると不安だけれど、携帯くらいなら最悪なくても死にやしないし。
ああ、ニッポンクオリティから遠ざかるのだな、と実感。

彼がよく、
世界中どこへ行ったって日本ほどサービスが丁寧で清潔で治安が良くてお風呂があったかくて水が美味しい国はないのだから、あなたみたいにそこそこの生活水準の家庭で愛されて育ったお嬢さんがそこそこの額のお小遣いを持ってどこへ行ったところでストレスが溜まって当たり前なのだ
と私に言う。
それは理屈としてはわかっているけれど
その理屈を立体的なものにするために私は行くのだ。

一方で、クレジットカード付帯の海外旅行保険のパンフレットを取り寄せて見たら
観光ガイドにしろ緊急事態発生の際にしろ
日本語スタッフがこことここにおります!直通ダイヤルはこちらです!と
しっかり至れり尽くせりなサポート体制が敷かれていることを知る。
仮に私がそれをいっさい利用しなかったとしても
いざとなったらこういう場所があるのだから大丈夫、という「安心」を買っている限り
この文明から独立したことにはならないのである。

私の個人主義 (講談社学術文庫 271)私の個人主義 (講談社学術文庫 271)
(1978/08)
夏目 漱石

商品詳細を見る

今この漱石の講演集を読んでいるのだけど
「文明社会では職業が細分化されすぎていて
人はほんの限られた分野での専門性さえ持っていれば生活できるようになった。
その結果、自分の専門分野以外のことは衣食住に関わることであっても
何もできないというようないわば「不倶」の人間ばかりができあがっている。」
という話が、「道楽と職業」という講演のなかにあった。
海外サポートデスクに守られて海外滞在をする私を思い浮かべたとき
漱石の「不倶」という言葉が即座に浮かんできた。

白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)
(1989/07)
坂口 安吾

商品詳細を見る

けれども面白いことに、
私のHNの由来である安吾の小説のサチ子は会社の専務のお妾さんなのですが
こんなふうに言っている中で文明という言葉が出てきて、漱石とリンクしてはっとする。
私の愛情は感謝であり、私は浮気のときは男に遊ばせてもらってウットリさせられたりするけれども、私自身が自然の媚態と化してただもう全的に男のために私自身をささげるときは、感謝によるのであった。要するに私は天性の職業婦人で、欲しいものを買っていただき、好きな生活をさせてもらう返礼におのずから媚態と化してしまう。そのかわりお洗濯をしてあげたいとか、お料理をこしらえて食べさせてあげたいとか、考えたこともない。そんなものはクリーニング屋とレストランで間に合わせればよいと思っており、私は文化とか文明というものはそういうものだと考えていた。

うーん、話にとりとめがなくなってきた。

私は別にサチ子になりたい!とかサチ子は私そのものだ!などと思って
名前を借りたわけではないが、
その小説を読めば読んだだけ唸ってしまうことは確かなので
むやみやたらに読み返すと日常生活がままならなくなるからいけない。
今、青空文庫でちらっと読んでしまってまた再読したくなったけど
すると荷造りが絶対に進まないから、絶対読まないぞ!

旅行の話に戻りますが
直前パワーで簡略版「旅のしおり」を作って参加者に配布したら
なんだかこの研修旅行に貢献してる感がむくむくと湧いてきて
前向きで楽しみな気持ちがまた増してきました。
よくわからないけど、勢いで出国前に美容院の予約をしてしまった。
元気に行って帰ってこよう。



↓ありがとうございます。
2009.02.04

みちみちたりて

今日は食べすぎた。

・母が作ったごっつい鶏肉のソテーと、ポテトサラダ
美味しかった。
母は最近なぜか朝気合を入れて料理をするので、朝ご飯がディナー並みである。

・高野フルーツパーラーの1300円のデコポンパフェ。
相方は1500円のダブルショートケーキ。
構造としてはビックマックみたいにショートケーキが二段になっているものなのだけど
ビックマックと違って商品写真に偽りがなく、本当に二倍のボリュームなのである。
それをお互いつつきながら、こんな贅沢を何の理由があって今しているのだろう、と
やや疑問に思いながらもぺろりと完食。

・ラーメン&たまごかけごはん
たまごかけごはんを金とって売ろうって、どんなたまごかけごはんなんだ!
と彼が言うので一緒に食べに行った。彼はたいそう気に入ったようだった。
確かにたまごかけごはんは、ゴマの風味とだしが効いていて美味しかった。
でもラーメンはいまいちだった。

・薄皮たいやき白玉きなこ味
ラーメンの後だから要らない要らないと思って通り過ぎようとしたが
白玉きなこ味は期間限定と書いてあって、つい誘惑に負けて引き返してしまった。
そして食べた。美味しかった。

・豆
うちに帰ったら父が豆まきをしていた(散らかるのでと、袋ごと投げつけられた)。
無視するわけにもいかないので私も投げ返した。
年の数だけ食べるんだぞ、と言って父は寝室へ入っていった。
年の数だけ食べるという作業が楽しかったあの頃は
5つか6つしか食べられなかったものだ。若かった(?)なあ。
幼稚園ではひとふくろ用意すればじゅうぶんだけど、
老人ホームとかになると業務用福豆か何かを準備しないといけないのだろうか。
今年は3つぶめくらいまでは数えていたけど、もうあとは適当に食べた。

この調子ではいくら走ったって追いつくまい。



↓ありがとうございます。
Posted at 01:22 | 日々のこと | COM(2) |
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